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| 新潟県新潟市(旧西蒲原郡 巻町)
JR新潟駅から越後線に乗り南へ。しばらくすると、車窓にはコシヒカリを産む穀倉地帯が広がり、巻町に着くまでの40分間この景色が延々と続くことになる。 巻駅から西へ8キロほど行くと広大な日本海に出る。海の向こうには佐渡島。そして、夕日ラインと名付けられた南北に延びる海岸線の一画に角海浜(かくみはま)がある。この角海浜は太平洋戦争後過疎化が進み、55年に巻町に編入される。そして、原発計画が明らかになった69年には、集落の居住者が8世帯13人にまで減少していた。
安全審査が中断してからの10年間、巻原発建設をめぐる動きはほぼ停止していた。しかし、93年になって動きが出る。「原発凍結」を公約して90年8月に町長に再選された佐藤莞爾(かんじ)だったが、三選をかけた町長選挙前の3月議会でこう言った。「三選を果たしたら(原発凍結方針を解除し)巻町に世界一の原発をつくりたい」 そういう流れのなかで、94年8月7日に町長選挙が実施されたが、結果は、佐藤莞爾が9006票、村松治夫が6245票、相坂功が4382票となり、佐藤が勝利を収めて三選を果たす。これにより東北電力への「町有地売却」が一気に現実性を帯びてきた。 |
田畑護人(たはたもりひと)は巻町で酒屋を営んでいる。客筋は個人のほかに建設会社や居酒屋、飲食店など範囲が広い。保守系の政治家やその後援者とも関わりがあり、旧来の言い方で表現するなら彼は体制派・保守陣営の人に違いなかった。しかし、田畑もまた佐藤莞爾の政策転換に驚いて彼を支持しなくなった一人で、町長選挙では原発慎重派の村松治夫に投票した。選挙が終わって2週間が過ぎた8月下旬、彼は店にやって来た友人の大橋四郎にこう言った。 そして9月2日の夕刻、大橋四郎、笹口孝明(当社・専務取締役)、菊池誠ら数人の町民が田畑の店に集まった。来訪者はみんな、ほぼ同じ考えを持っていた。つまり、このまま放っておけば、近い将来必ず町に原発がつくられることになる。町民がそれを求めているのなら黙ってもいるが、町民の多数意思に反してつくるのは絶対に許さないということだ。 もちろん、法的に問題があるはずはない。田畑や笹口らは10日後の9月12日の夜、町内の居酒屋で顔を合わす。集まった7人は、自主管理の住民投票を実行することを決め、本気だということを町民や町長・議員、そしてマスコミに示すために、すぐさま事務所を開設することにした。こうして、94年10月19日「巻原発・住民投票を実行する会」(略称、実行する会)が発足する。 |
「実行する会」の事務所で催された記者会見の席上、代表となった笹口孝明はこう語った。 「実行する会」の発表した「趣意書」によれば、「巻原発が建設されるか否かは、巻町にとって、又、巻町住民にとって、将来、決定的に重大な事柄であり」、だからこそ、「民主主義の原点に立ち返り、主権者である住民の意思を確認すべく、住民投票を行う必要がある」としたうえで、具体的には次の二点の活動を進めるとした。 合計34人にのぼる幹事の居住区は巻町全域にわたり、代表の笹口をはじめほとんどの人が、それまでに政治活動や反原発運動にかかわったことがない「ニューフェイス」だった。したがって、原発建設をめぐって長年にわたり対峙している推進、反対の両派とも「実行する会」の真意が理解できず、彼らへの警戒を強めたり距離を置こうとしていた。 11月2日、笹口、田畑ら「実行する会」のメンバーは町役場へ足を運び、佐藤町長に対して住民投票の実施を申し入れた。同時に、もし町がやらないのなら自主管理でやるということを述べ、その際には投票場の確保や立会人の派遣、選挙用具の貸し出しなどの協力を頼むと要望した。 1週間後、町長は次のように回答する。 要するに、実施しないし自主管理投票に協力もしないということだが、これは「実行する会」にとっては予想通りの答え。回答を受けた日の夜、記者団を前に、菊池誠幹事長は気負うことなくさらりと言った。 |
この頃、東北電力は佐藤町長に対して建設予定地内の町有地の売却を非公式に打診していた。町長が町有地を売ってしまわないうちに明白な民意を示さないと手遅れになる。「実行する会」が、自主管理でもいいから速やかに住民投票をやろうと考えた大きな理由がここにあった。 一方、佐藤町長は「実行する会」の動きに苛立ち、取材に訪れた記者たちに向かってこう言った。 |
厳正に行なわれた自主管理投票は95年2月5日の午後6時に投票が締め切られ、同日夜、速やかに開票が行なわれた。 投票総数は1万378票(これは有権者総数の45.4%にあたる) 建設反対票が「9006票」を上回ったということで、「原発建設については、先の町長選挙を通して住民から同意を得ている」という推進派の主張が、説得力を弱めることになった。 開票から4日後の2月9日、「実行する会」の面々は佐藤町長に会って「これだけの結果が出たんだから、町有地は売却しないということを明言して下さい」と申し入れた。これに対して町長は、 そしてついに佐藤町長は、2月20日に臨時議会を招集すると言明した。原発推進派は「町有地売却」を議会で承認し、一気にケリをつけようとしたのだ。 |
臨時議会の招集が伝わるや反原発六団体で構成する「連絡会」はすばやく行動を開始。2月20日「連絡会」の面々が午前9時過ぎに役場の中へ入りこむ。何時間か膠着状態が続いた後、「連絡会」の何人かが勢いよく町長室へ入っていき、町長の傍らに座るなりこう言った。 佐藤町長は「町有地売却」をいったん引っ込めるしかなかった。 |
この場は乗り切ったものの、議会で多数を占めない限り、近いうちに町有地を売られてしまうと考えた「実行する会」や「連絡会」は、2ヶ月後に行なわれる町会議員選挙(定数22)に協同して参戦することを決意した。(反原発派の候補者は「(条例制定に基づく)住民投票を実施して原発建設を止めましょう」)「実行する会」の候補者は原発建設の是非は住民投票で決めましょう」と訴えた。住民投票を実施すべきか否かがこの選挙での最大の争点となった。 蓋を開けてみると、住民投票派から立候補した三人の女性候補がトップ3で当選するなど、多くの町民が清新な素人候補に投票。住民投票反対の現職5人が落選し、12議席を獲得した住民投票実施派が議会の多数を占めた。 選挙の結果、住民投票の実施をめぐる議会勢力は、選挙前の5対17から12対10に逆転。6月議会での住民投票条例の制定は間違いないと思われた。 ところが、条例の制定を公約して当選した坂下志、梨本國平の両議員が、ひと月と経たないうちに公約を反故(ほご)にして条例制定派から離脱する。坂下は「条例制定には賛成する」という約束をし、念書まで取り交わして「実行する会」が推薦した候補だった。こうして、議会勢力は10対12に再逆転し、改選前同様、原発推進派が多数を占めることになった。 町議会から2ヵ月が経過した6月26日、「巻町における原子力発電所建設についての住民投票に関する条例」案が巻町議会の本会議において無記名投票で採決されることになった。 議会の勢力は、条例制定賛成派が10人、反対派が12人だが、反対派から議長を出しているので、「賛成が10票、反対は11票で否決」になると誰もが信じていた。ところが、開票してみると「11対10の賛成多数で可決」となった。条例反対派の議員の一人が誤って「賛成票」を投じたのだ。思いもよらぬ結果になり条例制定派は大喜び。一方、佐藤町長は苦笑いだったが、彼にはまだ余裕があった。町長の拒否権といえる「再議」を発動して採決をやり直せば、まちがいなくこの条例を葬り去ることができるからだ。 だが、原発推進派は意外な手を使った。それは「条例改変の直接請求」。原発推進派の住民が町長に条例の改変を請求し、議会がこの案を可決するという策で、町長はこれに賛成の意見書を添えて議会に付議し、議会はこれを10月3日に可決した。 それでは、どこをどう改変したのか。 合法的とはいえ、町長や原発推進派議員の姑息(こそく)ともいえるやり口に、多くの町民は怒りを募らせた。そして、推進派の町民の中からも「住民投票で決めればいいのに、町長はおかしいよ」という声が上がり始める。だが佐藤町長の頑固な姿勢は変わらず、町有地の売却は町長の権限で行うことができ、住民投票を実施する必要はないという発言を繰り返した。もはや、12月議会において「条例廃止、町有地売却」が提案され決議されるのは決定的となった。 |
こうした状況を受け「実行する会」は10月28日、「住民投票を実現し、巻町に真の民主主義を確立するために」と町長リコールを宣言。「連絡会」との連携を強めながら1026人の受任者(署名収集人)を確保して、リコールに賛同する有権者の署名集めを開始した。 結局、有権者の3分の1をはるかに上回る1万231人の署名が集まり、佐藤町長は「解職投票」に持ちこむことなく辞職した。 翌96年1月21日に出直し町長選挙が行われたが、原発推進派は候補を立てられなかった。 一方、「実行する会」や「連絡会」は一致して笹口孝明を推し、立候補した彼が諸派の一候補を大差で破って当選を果たす。当選が決まった夜、笹口は記者団や支持者を前に雄叫びを上げるようにこう言った。 |
「反対票が1票でも多かったら町有地は東北電力に売らない」と言い切っていた笹口町長だったが、賛成票の方が多かったらどうするのかについては明言を避けていた。しかし「賛成票が多ければ町有地を東北電力に売る」と言い切るべきだという意見が告示前になって台頭してきた。一方、反原発グループなどから「売る」とは言わずに「安全面に留意して検討する」といった言葉に止めてもらいたいという要望があった。決断を迫られることになった笹口は仲間たちと相談を重ねる。「実行する会」の田畑護人はこう話す。 笹口町長はこうした助言も参考にして「巻町民へのメッセージ」を記し、7月25日の告示日にこれを全戸配布した。 こうして、いよいよ運命の日、8月4日を迎えることになった。
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| (今井 一 著 「住民投票−観客民主主義を超えて−」 岩波新書刊より抜粋) |
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